高崎のだるま市に行ってみよう!!
だるまって何?
日本文化というのは、どうしてか私たちに日本人にとって最も苦手なものの一つと言えます。冠婚葬祭のルールを完全に知り尽くしている日本人など、現代にいるのでしょうか?
行事の際にはインターネットなどで前調べをしておかなければ、大恥をかいてしまうことになりかねません。
ではここで質問、だるまってなんですか?
私たちの知識では、赤くてひげが生えていて、受験に合格したら目を入れるやつ…、程度が良いところでしょう。
全国的にだるまを知らない人なんていないでしょうが、だるまがなんなのかを知っている人もほとんどいないのです。これまで何とも疑問に思わなかったのが不思議ですね。
そんなわけで、だるまについて少し調べてみました。
だるまのルーツ
だるまとは、実は「達磨大師」という5世紀後半から6世紀前半にかけて活躍した実在の人物です。
インドの王国の第三王子として生まれ、インドから中国に来て宗教活動を行いました。座禅を組んで悟りを開く、いわゆる禅宗の開祖とされています。
日本のだるまは、この達磨大師が座禅を組んだ姿を模して作ったとされています。
手足がないのは、達磨大師が壁に向かって9年間座禅を組み続けたところ、手足が腐ってしまったという伝説に由来するようです。
だるまに込められた意味
また、あの赤い色には魔除けの効果があるとされています。赤は血や炎を連想させるため、赤色が神聖視されているのはなんとなくわかりますね。魔除けの他にも、顔の色と合わせると紅白になるために縁起物として扱われています。
だるまは上部をはりぼてにし、下部を重くすることで重心を低くし、倒れても自分で起き上がるようにできています。
もともと、だるま制作の現場では重心など考えられておりませんでした。
しかし、置くとコロコロと転がってしまい管理が面倒だったために、重心を与えたと言われています。
それが今となっては、転ばず倒れない者の象徴とされて、受験のための縁起物となったわけです。
高崎だるまの由来
だるまで最も有名なのは群馬県高崎市です。
はじまりはおよそ200年前。山縣友五郎という人が最初にだるまを作り始めたそうです。その後この達磨づくりは、高崎市の豊岡周辺で苦しい生活をしている農民たちの副業として広まっていったといわれます。
高崎だるまは現在、日本のシェアの80%を誇る一大産業となっています。
七草大祭だるま市
現在、高崎では1月6~7日に七草大祭だるま市というイベントも開催されています。
会場は少林山達磨寺の境内周辺です。
黄檗宗について
この達磨寺は、黄檗宗(おうばくしゅう)というちょっと珍しい宗派のお寺です。
日本にある禅宗宗派のうち臨済宗と曹洞宗は鎌倉時代に日本に入ってきています。しかし、黄檗宗が伝わったのは江戸時代の初期と遅いため、他の宗派に比べて中国(当時は明)の雰囲気が多く残っているという特徴があります。
ちなみに、黄檗宗を日本に伝えたのは、インゲン豆で有名な隠元隆琦。日本における本山は京都の黄檗山萬福寺です。
少林山達磨寺と七草大祭
この七草大祭はもともと達磨寺のお祭りです。
達磨寺には観音菩薩・達磨大師のほか北辰鎮宅霊符尊という北極星を神格化した神が祀られており、その星祭として行われていました。
そのため、1月6日の夜から人が集まり始め、1月7日午前2時が一番ご利益のある時間とされています。
七草大祭だるま市
だるま市は、達磨寺の七草大祭の際に、周辺の農民が作っただるまを販売する場所として江戸時代後半から始まったようです。一説によると、天明の飢饉の後困窮する周辺の農民を救うために達磨寺の僧侶が主導して始めたとも言われています。
現在でも50軒以上の農家がだるま製造を行っています。
また、だるま市には毎年20万人の人が訪れ、達磨の露店のほか約300店ほどの色々な露店が出ます。
七草大祭だるま市に行くには
会場である少林山達磨寺は、JR信越本線群馬八幡駅から徒歩18分ほど。駐車場は有料で970台分ありますが、混雑するため公共交通機関を使うのが良いでしょう。また、バスは本数が少ないためタクシーで行くのが最も安心と言えるでしょう。
徒歩で行くと、山道であるために実際には18分で着くことは難しいようです。
また、祭りが最も盛り上がるのは深夜ですが、街灯も少ないので、夜道を歩くのは出来るだけ避けたほうが良いでしょう。
当日はだるまの他にも屋台が多く出ているために、到着までに体力を消耗してしまわないように気をつけましょう。
【地図 少林山達磨寺】
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