お彼岸とは? 「おはぎ」「ぼたもち」の関係は?

2015年12月13日

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お彼岸とは

彼岸とは元々は仏教に由来する言葉で、生死の迷いを超えた悟りの境地を意味します。「彼岸」とは「あちらの岸」という意味なので、迷いという川を超えたあちら側ということですね。なお、悟りに至る前を「此岸(しがん)」(=「こちら岸」という意味)と呼びます。

また、この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼びます。

この期間は、ちょうど真東から登った太陽が真西に沈む、春分の日と秋分の日が含まれます。そして、春分の日・秋分の日を中日として前後各3日を合わせた各7日間、1年で14日間のことを暦的には雑節の一つ「彼岸」と呼びます。なお、この期間は、春分・秋分最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」と呼びます。

「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、残寒・残暑は彼岸のころまで続き、過ぎると和らぎます。比較的過ごしやすいこの時期に、寺院に参詣して説法を聞いたり墓参りをする習慣があります。ただし、この習慣自体は仏教由来のものではなく、インドや中国にはない日本独特のものです。

お彼岸の習慣は日本だけ!?

仏教の行事である彼岸会も、インドや中国にはない日本独特の行事です。その始まりはいろいろな説がありはっきりしませんが、推古天皇の時代に遡ると説明される場合もあります。記録上の初見は大同元年(806)の崇神天皇の時代に国分寺の僧に春と秋の7日間ずつ金剛経の転読を命じたのが始めだそうです。その後、平安時代半ばには年中行事として定着したようです。

なお、この彼岸会は、在家の人にとっては彼岸に渡るために必要な修行である「六波羅蜜」などの修行を積むことは容易ではないため、この彼岸の時期だけでも集中して善行を積もうという考えのもとに行われていると説明される場合もあります。

※なお、彼岸に渡るための必要な修行である「六波羅蜜」についてはこちらをご覧ください。

彼岸の時期の墓参りの習慣についても、その由来をはっきりと説明することはできません。古代以来の農耕民族ならではの自然への感謝と先祖供養に由来するという説や、平安時代後期の浄土信仰が盛んな時期に、極楽浄土があるとされる真西に太陽が沈むこの時期を重視したという説などがあります。

なお、「国民祝日に関する法律」によると、春分の日は「自然を讃え、生物を慈しむ」日、秋分の日には「先祖を敬い、亡くなった人を忍ぶ」日として国民の休日に指定されています。

蛇足ですが、「彼岸」は俳句では春の季語で、秋ではありません。

 

ススキ

彼岸とぼたもち・おはぎ

彼岸の時期といえば、供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」が楽しみの1つですよね。餅米とうるち米を混ぜて炊いたものを軽く搗いてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが一般的です。

「ぼたもち」と「おはぎ」

ちなみに、この「ぼたもち」「おはぎ」は基本的には同じものですが、それぞれ別の名前で呼ばれるのは、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来します。なお、微妙な違いを挙げるとすれば、春のぼたもちは牡丹の花のように大ぶりに、おはぎは萩の花のように少し小ぶりで少し長めに作るのだそうです。

また、それぞれ好みが分かれる「つぶあん」か「こしあん」かということですが、昔は基本的におはぎはつぶあん、ぼたもちはこしあんだったのだそうです。

これには理由があり、あんの元になる小豆が収穫直後の秋の場合、皮がまだ柔らかいので皮を活かしたつぶあんを作ることができますが、一冬超して皮が固くなった春の小豆からは、皮を取り除いたこしあんを作らざるを得なかったのだということだそうです。

ただし、現在は保存技術の進歩もあって、一年中おいしいつぶあんを作ることができるので、この違いは現在ではほとんど無くなってきています。

「ぼたもち」「おはぎ」には別の呼び名も…

なお、あまり知られていませんが、ぼたもち・おはぎには夏と冬の名前もあるのだそうです。

おはぎは、お餅ではなく餅米と普通のお米を混ぜて炊いたものをすりつぶして作ります。そのため「(餅を)搗かない(ので音がせず、周りの人がいつ搗いたのか知らない)」→「搗き知らず」となるのですが、夏の場合「搗き知らず」=「着き知らず」となり、着いたのが分からないもの=「夜船」と呼ばれます。

なお冬の場合は「搗き知らず」→「月知らず」となり、月が見えない窓として「北窓」が呼び名になります。昔ながらの「ことば遊び」ですが、何だかおもしろいですね。