羽根突きはなぜ正月の遊びなの? どんな意味があるの?

2021年9月8日

お正月の伝統的な遊びの一つに「羽根突き」があります。

羽子板を使ってお互い羽根を打ち合い、失敗したら顔に墨を塗られる…というシチュエーションは、よくお正月の風景をあらわしたイラストなどに登場するので、おなじみの光景なのではないでしょうか。

とはいえ、現代は空地も子どもも少なくなって、実際にそのような光景に出合うことは稀かもしれません。

ところで、子どもの頃から疑問だった事があります。なぜ、羽根突きは正月だけの遊びなのだろうと。

おもしろい遊びなら年中やってもよさそうなのに、普段の時期の遊びのレパートリーには入っていませんでした。でも、面白くないのなら遊びとして廃れると思われるのに、昔からずっと正月の遊びとして続いている。これはなぜなのだろう、と。

そこで、ここでは羽根突きにはどのような意味があり、なぜ正月の遊びとして続いているのか、調べてみました。

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羽根突きとは?

羽根つきとは羽子板を使って羽根を打つ遊びである事は先にも触れました。

ただ、実は遊び方には2種類あるそうです。

それは「追羽根(おいばね)」と「揚羽根(あげはね)」です。

追羽根

追羽根は『お正月』の歌にも「お正月には 鞠ついて 追羽根ついて 遊びましょう」と唄われていますが、2人で向かい合って羽根を打ち合う遊びです。

一般的に羽根つきというと、この追羽根をイメージする事が多いと思われます。

揚羽根

それに対して揚羽根は、一人で羽子板を使って羽根を打ち上げる遊びで、何回打ち上げることが出来たかを競います。

確かに子どもの頃、一人で羽根を打ち上げて遊んでいた記憶がありますが、単に相手がいなくてやる一人遊びではなく、ちゃんとした揚羽根という遊びだったことにちょっと驚きです。

羽根突きの歴史

羽根突きは平安時代頃から行われていた毬杖(ぎっちょう)という木の槌で木製の毬を打つ遊びが元になったと言われています。

その後、槌が羽子板に、毬が羽根の付いたものに変化して行ったようで、室町時代頃には現在の羽根突きと同じような遊びが貴族の間で行われていたことがわかります。

しかし戦国時代に入ると、遊びというよりお祓い縁起物としての性格が強くなっていったそうです。

さらに、江戸時代に入ると羽子板を女の子のいる家に縁起物として贈る習慣が武家から庶民にまで広まり、そのため羽根突きが正月に行われるようになったとの事です。

羽根突きの道具に込められた意味

羽子板市

毎年12月17~19日に浅草の浅草寺で行われる羽子板市は、年末の風物詩として有名です。

この羽子板市、元々は「歳の市」として正月に飾る縁起物を売る市だったのですが、明治以降はそれらの縁起物は普通の店で買うようになったため廃れ、羽子板を売る店が中心になって現在に至っています。

この期間、浅草寺の境内には約50軒の羽子板を売る出店が並びます。

この羽子板の店、値札がかかっていない事が多いので、店の人に品物の自慢とともに会話を楽しむのが羽子板市の楽しみ方になっています。

種類は豊富で、その年話題となった人物などを取り上げたものもありますし、家に飾る所が無いという人のためにも小型でかわいらしい物もあります。

商談が決まると、店の人が手締めで送り出してくれます。

羽子板について

この浅草寺の羽子板市を見ても分かる通り、現在も女の子が生まれた家に年末に贈る縁起物として扱われています。

女の子に対する魔除けとしての役割があると考えられています。

羽根について

羽根突きの羽根は、羽子(はご)と呼ばれることもあります。

本来ムクロジという木の実に鳥の羽を何本かさしたものを使っていました。

このムクロジは漢字で書くと「無患子」と書きます。つまり、「子が患うこと無し」ということで、子どもが病気をすることなく無事に成長するようにとの願いが込められています。

また、この羽根は外見がトンボに似ているともいわれます。トンボは、いろいろな病気を運んでくる蚊を食べることから、やはり子どもたちが病気にかからず健康に育つようにとの願いが込められているのです。

まとめ

単なる昔から続いている正月の遊びと思っていた羽根突きにいろいろな意味が込められているのがわかり、興味深かったです。

とくにムクロジの木の実については、以前NHKのみんなのうたで流れていたダイヤモンド☆ユカイさんの歌で名前は知っていましたが「何、ムクロジって?」と意味はまったく分かっていませんでした。こんな意味があるんだ、と納得してしまいました。

このような伝統的な習慣、ぜひ残していきたいですね。